群馬県邑楽郡大泉町の《天徳山 宝寿院》は歴史ある境内のたたずまいがとても魅力的な寺院です。

 

開運招福毘沙門天

 

開運招福毘沙門天

開運招福毘沙門天
 
 

宝寿院毘沙門天の由来

宝寿院毘沙門天の由来
 
  宝寿院の毘沙門天王像
 この度、宝寿院山門の西側に毘沙門堂を建立しました。祀られている毘沙門天は持国天、増長天、広目天と共に仏法の守護神(四天王)の一尊ですが、一般的には、開運招福の神さまとされる七福神の一神として親しまれています。
 毘沙門天は、越後の戦国大名上杉謙信が篤く信仰したことで知られていますが、当院ゆかりの楠木正成もまた毘沙門天との縁が深い武将です。
 正成は、両親が信貴山の朝護孫子寺(現奈良県生駒郡)の毘沙門天に祈って授かった子ということで、幼名を多聞丸と言いました。この多聞丸という名は毘沙門天の別名多聞天に由来します。
 また、正成の子楠木正行が四条畷の戦い(1348)に臨んで戦勝祈願したのも、東福寺(現大阪市)本尊の毘沙門天と伝えられています。
 
   
 当地群馬県大泉町寄木戸には、毘沙門というめずらしい地名(小字)があります。ここは、楠木正行の戦死後、南朝の新田一族を頼って新田郡(現太田市)に下向した楠木氏一門橋本氏の末裔橋本五左衛門(元和7年=1621没)が、小田原城落城(1590)後に移り住んだ場所です。
 この寄木戸字毘沙門の地には、昭和30年代頃まで広さ約8帖ほどの毘沙門堂がありました。おそらく江戸時代前期に建立されたと思われる最初の毘沙門堂が、毘沙門という地名の由来と考えられます。
 毘沙門さまと呼ばれ親しまれてきた毘沙門天の地域信仰は、残念なことに、毘沙門堂が解体される前から既に途絶えていましたが、解体以前にこの毘沙門天を自分の屋敷内に移し、個人的に祀り続けてきた元毘沙門堂関係者の申し出により、平成11年に当院に移転しました。
 その際に毘沙門天の石像を建立しましたが、この度は、改めて当院ゆかりの楠木一族、および毘沙門天を信仰していた先人の供養のため、毘沙門信仰復活の願いを込め、この毘沙門堂を再建した次第です。
 当院へ参詣の折りには是非お参りください。仏堂再建と信仰復活を喜ぶ毘沙門天や先人の祖霊が、きっとあなたをお守りくださると思います。


 毘沙門天の縁日は毎月3日と寅の日です。
 毘沙門天の御利益 
    開運招福 大願成就 立身出世 心願成就 試験合格 
    進学成就 家内安全 交通安全 病気平癒 縁結び等

天徳山 宝寿院
〒370-0535
群馬県邑楽郡大泉町大字寄木戸
1114
TEL.0276-62-5739
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曹洞宗 寺院
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071402
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