群馬県邑楽郡大泉町の《天徳山 宝寿院》は歴史ある境内のたたずまいがとても魅力的な寺院です。

 

由緒・縁起

 

宝寿院の由緒・縁起

宝寿院の由緒・縁起
 
 当院は、南北朝時代の南朝の忠臣楠木正成公(大楠公)嫡子楠木正行公(小楠公)の加富貴御前の開基と伝えられる。加富貴御前は16名の家臣(小泉十六氏)とともに上野国小泉に逃れ来て、そこに一族供養のための草庵を結んだ。名を法志庵と称したという。
 後の天正年間に、小泉城主富岡氏の菩提寺龍泉院三世の僧窈山正精和尚が、この法志庵を龍泉院の末寺とし、名を宝珠庵と改め開山した。二世以後一時衰退するが、元禄14(1701)年、三世悦山正欣和尚が、この宝珠庵を当地寄木戸村に移転し中興開山となる。その際に寺名を宝寿院と改める。開基は、初代小泉城主富岡直光の孫野村勘解由允藤原勝久の六代孫野村孫兵衛である。
 江戸時代には、寄木戸村領主旗本山本氏の知行地菩提所となり、十世天嶺厳長和尚代の明和5(1768)年に、五代目領主で幕府御小姓組番士の山本七兵衛門正府から、歴代領主の供養料として、寺領の田5筆、高二石五斗余の年貢免租の寄進を受けている。
 江戸時代後期には、寺子屋が開かれていた記録もあるが、明治時代になり学制が発布されると、明治12(1879)年12月、本堂を仮校舎として、現大泉町立南小学校の前身である知新学校の一番分校師道館(師導学校)が置かれ、大正12年6月26日大川尋常小学校校舎完成までの44年間、寄木戸村・古氷村・古戸村(明治22年まで)の地域師弟の教育の場として大きな役割を果たした。
 

下記より詳細資料ををダウンロードしてご覧頂けます。

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小泉十六氏について ( 2011-10-31 ・ 178KB )
 
宝珠庵跡地記載の古地図 ( 2011-09-22 ・ 821KB )
 
 

沿革史

沿革史
 
年 代
できごと
1294 永仁2年8月
1348 正平3年1月5日
 
    年代不詳
 
    年代不詳
1402 応永9年2月28日
    年代不詳
 
        天正年間
 
1569 永禄12年8月
1593 文禄2年4月13日
1633 寛永10年
1684 貞享元年4月7日
1701 元禄14年春
    
          同年9月
 
 
 
    同年11月
1703 元禄16年3月
 
 
1708 宝永5年7月14日
1709 宝永6年7月8日
1713 正徳3年4年2日
1713 正徳3年4年2日
1734 享保19年11月
 
 
 
 
1740 元文5年2月4日
1742 寛保2年6月18日
1753 宝暦3年4月20日
1756 宝暦6年5月20日
1767 明和4年5月15日
1767 明和4年11月24日
1768 明和5年5月
 
 
1786 天明6年11月5日
1794 寛政6年5月25日
1803 享和3年10月10日
1807 文化4年5月28日
1811 文化8年3月23日
 
 
1833 天保4年12月15日
1834 天保5年10月2日
1843 天保14年
1866 慶応2年12月2日
1871 明治4年5月5日
1878 明治11年12月13日
1879 明治12年12月
1885 明治18年11月27日
1889 明治22年11月2日
1898 明治31年
1902 明治35年12月3日
1911 明治44年5月10日
1917 大正6年1月
1923 大正12年6月26日
 
1934 昭和9年
1945 昭和20年11月5日
1948 昭和23年
1968 昭和44年
1970 昭和46年
1974 昭和49年2月
1979 昭和54年6月
    同年11月30日
1987 昭和62年11月15日
1992 平成4年7月31日



1999 平成11年9月12日
2003 平成15年12月13日
2004 平成16年7月
    同年8月1日
2005 平成17年
2009 平成21年2月
    同年8月
2010 平成22年7月31日
2011 平成23年3月11日
 
 
    同年8月12日
    同年8月24日
2013 平成25年3月24日
   
    同年9月21日 
・町指定文化財「阿弥陀三尊板碑」が建立される
 *楠木正行が河内四条畷の戦いで討死
  戒名「文光寺雲山升龍仏海」 享年23才
*楠木正行の正室加富貴御前が関口門之丞を先鋒とする16人の家臣(小泉十六氏)と共に小泉に逃れ来る
・加富貴御前が一族供養のため「法志庵」を建てる
・加富貴御前没 享年66才
・尉兼明神を建立し楠木父子と加富貴御前の霊を祀る
 ※楠木正成・正行の官途は左衛門尉兼河内守摂津守
 ・曹洞宗小泉龍泉院三世窈山正精大和尚が法志庵を末寺として開山 寺名を宝珠庵と改める
・町指定文化財「石造地蔵菩薩」が建立される
・開山 窈山正精大和尚遷化
・幕府公文書に上野国上小泉郷「寶地庵」と記録あり
・法心圓説和尚遷化
・三世悦山正欣和尚が上野・信濃・越後・佐渡4ヶ国の僧録所雙林寺の許可を得て、寺名を宝珠庵から「寶壽院」と改める。
・悦山正欣和尚が、寄木戸村近隣7カ寺及び檀家67軒の同意を得て、寄木戸村法幢寺(宗派不明)へ交代入院(晋山)、この時、本尊聖観世音菩薩の因縁を以て寶壽院の山号を白華山と定める。
・悦山正欣和尚が寄木戸村法幢寺を曹洞宗に改宗
・悦山正欣和尚が寶壽院を小泉から寄木戸法幢寺に移転(合併)、これより白華山寶壽院法幢寺となる。悦山正欣和尚は、この功により寶壽院中興開基となるもその後転住 示寂年等不分明
・端室玄的和尚遷化
・当院開基野村孫兵衛没   戒名:端入道的居士
・二世 碧天正印大和尚遷化
・高外宜山和尚遷化
・当院開基野村孫兵衛の妻没 戒名:利亨壽貞大姉
  この時寄木戸村の 下田 四畝廿三歩 かべや坪
           下下田 壱畝拾九歩 同所
    〆六畝拾貳歩 米壱俵壱斗八夕 の寄進有り
   施主 野村孫兵衛  同孫右衛門
・七世 祥山忍貞大和尚遷化
・四世 祖梁傳意大和尚遷化
・六世 竺峯密仙大和尚遷化
・九世  活翁賢龍大和尚遷化
・五世  石壑禅梁大和尚遷化
・八世  賢應泰良大和尚遷化
・寄木戸村地頭 旗本山本七兵衛門正府から、代々の御齋米料(供養料)として、寺有地5筆 高二石四斗六升四合壱夕の年貢免租の寄進を受ける。
・十世  天嶺厳長大和尚遷化
・十三世  恭洲遊仙大和尚遷化
・十四世  大梁靈林大和尚遷化
・十五世  佛海達印大和尚遷化
・十二世  祥山林瑞大和尚遷化 
※於新田郡飯田霊雲寺遷化
  ※当院墓石に「施主 筆子中 ゑんじゃ」と有り
・十七世  良戒門廣大和尚遷化
・十六世  直峯一指大和尚遷化
・十九世  耕靈石耘大和尚遷化
・廿一世  祖道本宗大和尚遷化
・廿二世  仙崖靈椿大和尚遷化 ※於足利長徳院遷化
・廿六世  賢翁天外大和尚遷化 ※中尾天外
・知新学校一番分校師道館(師道学校)が置かれる。
・廿七世  即幻哲聞大和尚遷化 ※吉羽哲聞
・廿三世  培本靈苗大和尚遷化 ※於足利永明寺遷化
・山王に庚申堂が建立される
・廿八世  蓮能智聞大和尚遷化 ※酒井智聞
・廿五世  天海玄龍大和尚遷化 ※於行田常光寺遷化
・本堂茅葺き屋根葺き替え(廿九世 太堂代)
・大川尋常小学校開校に伴い師道学校閉校
   ※分校開設期間44年
・庫裡新築(昭和8年12月9日上棟の棟板)
・廿九世  禅巖太堂大和尚遷化 62歳 ※田邉太堂
・農地改革により寺領1町余を失う
・本堂・山門を解体
・本堂新築・落慶
・本尊を聖観世音菩薩から釈迦如来に替える
・庫裡新築
・阿弥陀三尊板碑・石造地蔵菩薩が町指定重要文化財となる
・山門再建・落慶
・開山窈山正精大和尚400回忌法要奉修
  東門に門標建立・宝寿院縁起碑建立
山門内参道石畳舗装・水屋落慶法要奉修
寺紋を菊水紋とする
・檀信徒会館落慶
・三十世 長巖逸雄大和尚遷化 89歳 ※田邉逸雄
・当院歴代住職廟所完成
・道巖信雄和尚住職拝命 当院31世 ※田邉信雄
・山門前参道石畳舗装
・庚申堂(いぼとり庚申)大規模改修
・本堂改修
・宝寿院別院懐古庵落慶披露
・東日本大震災で檀信徒会館・庫裡の屋根瓦・内壁の被害大、墓地内石塔・灯籠の倒壊、接合部乖離多数
  本堂・本堂内本尊・仏具等に被害・損傷なし
・当院開基野村家累代廟所完成
・懐古庵屋根葺き替え工事完了
・本輿を加富貴御前を祀る尉兼明神祭り神輿に改修し、懐古庵で披露
・懐古庵に不動堂建立、落慶式奉修

 
 

天徳山 宝寿院
〒370-0535
群馬県邑楽郡大泉町大字寄木戸
1114
TEL.0276-62-5739
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曹洞宗 寺院
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053978
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